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存続、反映のために。個性を表現する場を。
東都製靴工業協同組合の設立は昭和22年。そこから右肩上がりで発展していく都内での靴づくり産業を支え続け、昭和56年には、参加企業が368社に膨れ上がるなど、浅草が「靴の街」として世界的に名を馳せるまでの成長に貢献した。その中から、より強い個性やこだわり、そして靴づくりへの情熱を持ったメーカーが集うことで設立されたのが「Nippon Value」である。東京レザーフェアへの出展を主な活動とし、時代にあった靴づくりのカタチを模索するために挑戦を続けている。
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歴史と未来を紐解くキーマンによる鼎談。
東京における靴づくりの本質を探るべく、気鋭のメーカーとして注目を集める(株)ヴァーブクリエーションの中川氏と、Nippon Valueイズムの体現者である(有)デコルテの田中氏、そして組合の専務理事を務める櫛原氏の三名に話を聞いた。
長いものに巻かれない「変わり者」が集結。
櫛原 都内での靴づくりが発展していく中で、プライベートブランドを持たないメーカーがOEMしかできなくなり、会社としての体力が弱まっていった時期がありました。そんな中、反骨精神というか、気概のある方々、デコルテの創業者である田中さんのお父さんがまさにそうなのですが、大手問屋と組まず、アパレルブランドと協業することで、OEMというより、ODM的なカタチで事業を進めてこられた歴史があります。
田中 当時は、変わり者扱いをされていたようですけどね(笑)。「値段が高い」と、陰口も叩かれていたようですし。
櫛原 つまり数ではなく、キャラの立ったデザインで勝負するメーカーですね。だから、Nippon Valueを立ち上げる時には「各社の企画室をそのまま持ってきて」とお願いしたんです。
中川 組合にいる100社のほとんどは、デパートの靴売り場に置いてあるような普通のパンプスをつくっています。でもNippon Valueに出ているのは、面白い靴屋さんばかりですよね。我々とデコルテさんは、「変な靴」担当だから(笑)
「数」は正解にあらず。一足一足に「想い」を。
櫛原 もはや「メイドインジャパン」というだけで評価される時代ではありません。今は、商品の背景にあるストーリーや想いの部分を伝えないと、日本でのモノづくりは海外には勝てない。
田中 もちろん大手百貨店の担当の方からも、日本製の品質は、他のアジア製とは違うと言ってもらえます。だけど、それだけではダメ。例えば弊社では「釣り込み」の工程を、すべて手作業でやっています。その分コストも手間も上がりますが、それを求めるお客様もいらっしゃる。だから、この技術を継承していくのも私の役割だと思っています。
櫛原 例えば、昔は50足のロットを回して利益を得るという考えでよかった。でも、同じ靴を50足買う人はいなくて、その人にとっては一足だから。その一足に、どれだけ想いを乗せられるかですね。
世界最大規模の靴づくりの街として。
田中 私はとにかく、浅草が靴の産地であるということを、もっと多くの人たちに伝えていきたいですね。
中川 僕も同じ思いです。浅草という場所は、世界最大の靴産業の集積地だと思っています。それくらい、日本の靴は素晴らしい。だから世界で一番になることが大事ですよね。富士山は誰でも知っているけど、その次に高い山はあまり知られていない。そういうことです。
櫛原 昔は「デコルテのやり方だと商売にならない」なんて言われていたのに、今ではデコルテや、ヴァーブクリエーションを目指す人が増えている。その事実こそが答えです。そういった人たちの思いをひとつにして、力を相殺することなく、同じ方向へと進んでいくために、私たちNippon Valueが存在感を発揮できればいいですね。
株式会社ヴァーブクリエーション
有限会社デコルテ
東都製靴工業協同組合
専務理事・事務局長:櫛原 琢也氏
都内での靴づくりの変遷を見守ってきた存在として、その歴史を伝え広める役割を担う。また、若手のクリエイターへのアドバイスなども行っている。